鈴木ベーカリーは、卸しのパン屋ですが、店頭でも買えます。
はまの屋パーラー(有楽町/日比谷)や、銀座みやざわにもパンを卸しているのには驚きます。
店頭で買うと安いのには、さらに驚きます。
鈴木ベーカリー工場直売所。
開店時間が不定期で「パン屋のおばちゃん」でツゥィートされます。
売り切れた商品には付箋がついており、夕方に行ったら、ほとんど付箋がはられています。
種類がとっても豊富で、ビニール袋で個別梱包されたパンは愛情を感じます。
ぶどうぱん2個、紫さつまいもアンパン、クリームコロネ、合計でも290円の幸せでした。
現在は店頭のビニールひさしは新調されています。
ホームページより抜粋
「丸十ぱん店の始祖、田辺玄平翁は、アメリカで苦学してパンの製法を学び、
日本で初めてパン酵母による 製パン法を開発しました。
その後、大正2年に東京上野黒門町で食パン専門の店として「丸十ぱん店」を創業しました。
大正8年に、陸軍の糧食の嘱託となり、食パンの生地で食パンよりも携帯に便利な
コッペパンを開発し納入しました。」
東武東上線大山駅南口のハッピーロード大山商店街に「マルジュー大山本店」はあります。
コッペパンのキャラクター「コペペちゃん」が立っています。
マルジューは大正2(1913)年に創業。
大正4(1915)年に、携帯に便利なコッペパンを開発し、陸軍に納入していました。
現在のマルジューの創業者は巣鴨の丸十パン店で修行し、昭和26年に板橋区仲宿で暖簾分けにより創業しました。
<丸十の由来>
「登録商標 丸十の由来
1913年。丸十の歴史は、始祖の田辺玄平が日本で初めてパン酵母でパンを作ったことで始まりました。
丸十の始祖、田辺玄平翁は明治40年にアメリカに渡り、パン酵母でパンを製造する技術を学びました。
大正2年に帰国した翁は、東京下谷の黒門町に念願のパン店を創業しました。
それまでのパンはまるで団子のようでしたが、パン酵母を使用することで、今日のようなふっくらとした美味しいパンが焼き上がるようになりました。
美味しいパンの評判は全国に広まり、志ある者が玄平翁の下に集まり、厳しくも愛情豊かな翁の指導を受けて、弟子たちは○十を掲げた丸十パン店を開店していきました。
当社創業者、伊東正二も豊島区巣鴨の丸十パン店で修行をし、昭和26年に板橋区仲宿で開店しました。
皆様が召し上がっている丸十のパンはこうした100年の歴史に育まれたパンなのです。
BAKERY&CAFE MARUJU」
東武東上線大山駅の南口から川越街道に続く560mの長さのアーケード「ハッピーロード大山商店街」です。
こどもとうさぎが電車ごっこをしている像です。
銘板などは見当たりません。
ちくわのフリッターは30年前から販売、元祖です。
パステル宮下商店街にあるパン屋です。
パン屋の隣にある宮ノ下公園で、購入品を撮影。
なぜか6個も購入。黒ゴマは小倉あん、白ゴマはこしあん。シンプルな味です。
以前の赤い看板の時代です、現在は黄色の看板です。
平日の深夜のみ営業している立ち食い蕎麦店です。
きつねそば(420円→現在は460円)を食す。消費税増税後、値上げ。
乙武洋匡さんのブログより一部引用(以前に掲載、現在は該当記事は削除)
「まちの保育園 投稿日時: 2011年2月21日
2011年4月1日、練馬区の小竹向原に保育園を開園します。その名も、「まちの保育園」。
教員時代、僕が強く感じたのは、「やっぱり家庭が大事だ」ということ。
〜略〜
そうした想いが、今回の保育園開園というチャレンジにつながっていきました。
〜略〜
経営者という立場で保育の現場から子どもたちの成長を支えていけたらと考えています。
僕らの想いがつまった「まちの保育園」。ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします!」
乙武さん経営の「まちの保育園」に併設して、「まちのパーラー」があります。
まちのパーラーにまちの保育園との関係を聞くと、同じ場所にあるだけで、関係はないとのことでした。
乙武さんが経営するのは「まちの保育園」だけです。
「まちのパーラー」は、人気店だけあって、ベーカリーもカフェも混みます。
仕出し料理・弁当のお店で、お弁当を配送しています。
ロケ弁に強みを発揮している弁当屋。直売店でも買えます。
会議で配送された津多屋のり二段幕の内弁当を何度か食べました、美味しいですね。
西武池袋のリトルシェフでも津多屋のり二段幕の内弁当を売っていました。※現在は1242円(税込)
<直売店>
立野橋交差点にある出羽三山供養塔の訪問時に寄りました。
完売するのが早いです。買えませんでした。
創業昭和47年で、「8時ダヨ!全員集合」からロケ弁を作り始めています。
「ご存知ですか 津多屋の のり二段弁当
創業昭和四十七年」
「一度食べたら二度三度 津多屋の のり弁」